教会標語・牧師語録

沙部 汎

 現在、私が所属している教会の標語、主任牧師が提唱しているモットーを、自分流に受け止めて、その主旨に 個人的思いを加えたものを ここに掲載する。

 以下ページ内の項目立て・順序、および内容・解説文は、教会や牧師の監修・公認を受けたものではない。 一信仰者として受け止めたことに加えて、書物・資料から得たこと、瞑想から導かれたことを基として書き表したものであり、あくまでも私的なものである。

明るく、元気で、のびのびと

 そのこころ

私たちの教会の元祖標語といってよい。 教会の第一のモットーといえる。 自明のことばであるが、その言わんとする心は、教会ホームページ上に掲載されている、提唱者である牧師の言葉で明らかである。

その“心”のもう一つのとらえ方が、この教会のチャーチスクールのパンフレットに記載されている。良い訳と思うので、以下に紹介させていただく。 文字通り、バイリンガルである校長兼副牧師が英語に訳出したもので、みごとに当を得ている。

明るく ― God's desire for us is to live with a bright positive attitude.

元気で ― God wants us to be empowerd and empowering, encouraged and encouraging..

のびのびと ― God's desire for us is to trust Him with all things and be at peace.

 こころ ― その2

私が長年勤務していた企業の中で、ある時期、社員育成のためのキーワードがあった。 それは Challenge! Enjoy! Grow! という3つである。 教会の標語に密接に通じるところがあるので、わたし流に解釈して以下に掲げる。

Challenge! ―元気で― 何事も元気で挑戦しよう、特に福音宣教のために!

● Enjoy! ―明るく― 何事も明るく、楽しんでやろう! 主を喜ぶことは力である。

Grow! ―のびのびと― 大きく成長しよう、特に信仰的に、霊的に成長を目指そう!

Your Vision is Your Future

 そのこころ

最近、新たに加えられた、私たちの教会の第二の基本標語。私たちの教会が、神の国のさらなる拡大・成長を目指して、新しいPhaseに入る時期にふさわしいモットーとして、リーダーである主任牧師が提唱したものである。 そのこころは、礼拝説教等の中で折に触れて語られている。

Vision, ビジョン: 人によって意味の受け止め方が少しずつ違う。「目標」「夢」「幻」「ライフワーク」。。。 日本語での共通の理解・定義が必要かもしれない。いや、定義などしない方がよいかも。そのようなわけで、次の主題説教も「ビジョン」という英語表現のままに訳してある。

 "Your Vision is Your Future"  ...主題説教

"Your Vision is Your Future". この主題について、米国のひとりの牧師による明快な説教がWebサイトにあった。私の拙訳ではあるが全文を紹介したい。一部意訳したところもあるが、この主題に関するすばらしいメッセージが伝わることを願う。

"Your Vision is Your Future"         by ランディ牧師

箴言 23:18 「確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。」
箴言 29:18 「幻がなければ民は堕落する。」

ビジョンは、私たち全ての者が持たなければならないものである。

(マタイ16:21) このときから、イエスは、御自分が殺される、と弟子たちに打ち明け始められた。ご自身が三日目に復活することになっている、とはっきり言われたのだが、弟子たちは、イエスが死ぬということだけに心が捉われてしまったようだった。

ビジョンは、将来の状況である。預言者ハバククが、「幻を書き記せ。読めるように、(そして実行できるように)はっきりと書き記せ」(ハバクク1:2)と告げたように、ビジョンは非常に重要である。

ビジョンは、明確であればあるほど、引き付ける力が強い。より力強いものとは、その引力である。ビジョンは、私たちに運命――目的意識を与えてくれる。あなたのビジョンは、あなたの将来である。悪いビジョンを持てば、悪い将来を持つことになる。前向きのビジョンを持てば、肯定的な将来を持つ。ビジョンがなければ将来もない。

【原則】 ビジョンなき者は、必ずその過去に返る。

モーセとイスラエルの民は、捕囚の地を去って約束の地に向かった。モーセは民を約束の地へ導く、というビジョンをしっかりと掴んでいた。民たちは、それを掴んでいなかったのが問題だった。彼らは、ただモーセについて行っただけであった。モーセは計画の人であった。その他の人々は、主が望まれたビジョンを持っていなかった。。。。。

 それでは、あなたのビジョンは何か?

"Your Vision is Your Future". 「アーメン! その通りです」。 上記の主題説教も、わたしの心に響く。 しかし、問題は〈わたしのビジョン〉である。 「あなたのビジョンは何か?」 と問われたとき、すぐに明確な答えをいえない。

ビジョンとは、天からの啓示、主にあってのものがその人の真のビジョンであろう。単なる個人の思いからだけで出てきたものは、野心か、卑小なものになりやすい。考えあぐねているとき、2004年のはじめ、教会の友がよい詩を教えてくれた。正しくは、その詩が掲載された小冊子を貸してくれたのである。詩の作者については後段でのべることにして、まずそのすばらしい詩を紹介する。

  青年は幻を、老人は夢を

  神は言われる。
  終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
  すると、あなたがたの息子と娘は預言し、
  若者は幻を見、老人は夢を見る。
                        (使徒言行録第2章17節)

  人の知恵が行き詰まったとき、必ず夢がさめている。
    人の力が失せる時、必ず幻が消えている。
    夢は老人を若がえらせ、幻は青年に前進する力を注ぐ。

  民であろうと、国であろうと、家族であろうと、個人であろうと、
    何事によらず――夢を失い、幻を見なくなった時、
    すべてにおいて下降線をたどるようになる。

  その夢を誰が与えるか、その幻を誰が見させてくれるのか。
    幻を、夢を与えるのは神であると――聖書はそう告げている。

  神が見させる幻と夢――それを頂くのは、神を信頼し、神を愛し、
    神に従おうと志し、日夜神の御心はどこにあるかと
    謙虚に探りつつ祈る人たちである。 
                              (作: 飯島正久)

この詩の作者は、港キリスト教会牧師飯島正久師である。この伝道者が主宰・発行している“家庭の聖書誌「牧歌」から許可を得て転載させていただいた。この立派な牧師・伝道者をわたしはつい先日までよく知らなかった。2004年1月4日NHKラジオ第二放送「宗教の時間」で、この師が「老いの恵み」と題して講演(証詞)をされたのを、たまたま聞いたのが幸いであった。このことを通して、上のすばらしい詩に出会えたのである。

サムエル・ウルマンの青春の詩が世間では有名であるが、それに並ぶと言ってもよい名作であると、信仰者としてのわたしは思う。また、この詩を読むと、使徒行伝・ヨエル書のこの箇所が、"Your Vision is Your Future"の聖書的根拠の一つであると明確に受け止めることができる。

 付け足し ― ビジョンについての名言

数年前に読んだ数学の本で知ったビジョンに関する名言をここに紹介したい。その本は約1000ページにわたる大著であり、内容も斬新ですばらしいものであったが、この名言を得たのは思いがけない収穫であった。

● 「昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である」

"The dream of yesterday is the hope of today, and the reality of tomorrow."

 「すべてのビジョンは、最初の人が成し遂げるまで、ジョークである」

"Every vision is a joke, until the first man accomplishes it."

この二つの名言は、米国で “ロケット開発の父” と呼ばれている Robert Hutching Goddards が言ったことばである。

※"Your Vision is Your Future." に関しては、いつごろ誰がいい出した言葉か分からない。昔からある “読み人 知らず” の名言かもしれない。

牧師語録

 祈りに導かれることは、すべてよし!

 すべてのマイナスは、プラスに変わる!

上の二つは密接に関係があり、ワンセットとして受け止めることもできる。事実、この教会のバイリンガルの副牧師は次のように巧みに英訳し、英語礼拝でその真意を伝えている。

"Welcome anything in your life that drives you to pray; because, based on God's economy, every minus(every negative) in your life is intended to become a plus, (a positive)."

ハレルヤ! 主よ、感謝します

 元祖、牧師語録語といってもいいと思うが、いつごろから使われたのかは知らない。スローガンともいえるこの言葉は教会の中で過去現在いちばん使われている言葉であろう。  

 変な日本語! 15年前この教会に来て、はじめてこの言葉を耳にしたときの印象である。それを言うなら“「主に、感謝します!」だろう”と思った。だいたい、ここの教会で使われるいくつかの言葉は変な‘表現なまり’があって少しおかしい。今様で言えば「問題な日本語」であった。  最初は、自分も人前で言うときは(あまり言わなかったが)「ハレルヤ! 主に感謝します」と言っていた。このように言う人も他に何人かいた。「ハレルヤ! 主よ、感謝します!」と、何のてらいもなく言えるか否か。これが実質的に当教会員になったかどうかの隠然たる踏み絵のような気がしてならなかった。

 しかし、15年も経つと自分も言っている、「ハレルヤ! 主よ、感謝します」。「ハレルヤ!」は、ヤハウェなる神を賛えます、の意味だから問題ない。しかし次が問題。教会の中で自分以外の相手に向かって言う場合は、「(私は)主に、感謝します」というのがまともな日本語であろう。でも、やがてこの言葉は、人に向かって言うのと同時に、わが主に向かって言っているのだ、ということが分かってきた。それならば、やはり「主よ、感謝します」となる。第一に、「主よ!」行った方が、スローガンとしてパンチが効く。言う方の自分自身も力づけられる。

 蛇足ながら、この言葉は知的に幼いわが娘がその意味を理解し、彼女の信仰告白として正しく使える唯一・最高の言葉である。「ハレルヤ! 主よ、感謝します」

 (つづく)


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