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このサイトのもう一つのテーマ〈障害、障害者〉と〈福祉〉のことを考えるページ。このテーマの入り口は小さいが奥は深く広い。。。
このページでは、家族に知的障害者を持つわたしの生涯の課題を取り上げる。また健常者といえども高齢化に伴い障害者と共通する問題に直面することもあり得る。
現代社会では障害・障害者と福祉とは切っても切れないほど関係が深く強くつながっている。そこで、まずこのページのはじまりとして、〈障害〉に行く前に〈福祉〉に思いを寄せてみたい。
「福祉」 という言葉の意味は、辞書によれば、“幸福、満ち足りた生活環境。現代では社会の成員の物的・経済的、または文化的欲求の充足をいう”とある(三省堂国語大辞典)。 日本で最初に、この言葉を誰がいつ使ったのであろうか。
「福祉」、これは素晴らしい訳、あるいは優れて再創造された言葉だとおもう。先年発行され、ベストセラーになった日本人と漢字についての本がある。その本の中で、著者は福祉という漢字は「福」と「祉」に意味が重複しており、「祉」という漢字は福祉以外には使い道のない漢字だと書いており、残念ながら「福祉」(漢字)の評価が低い。福祉の本質まで軽く見られたような気がしてしまい、福祉を必要とする関係者としては寂しい。でも、「福祉」の文字の意味を知ると決してそのようなものではない。
ある学者(藤堂明保)は、福祉の語源に関して、「福は富なり、……神の恩恵によって豊に恵まれること」「祉は、神がそこに足を止めたもうの意味」と解説している。また、別の学者は、中国の 「易林」 という古典では福祉という言葉が「天の恵みによって幸せな生涯をまっとうして喜ぶこと」の意味に用いられているという。
福祉の旧(正)字を上に掲げた。この2文字は本来の意味を有していることが読取れる。この二つの漢字の偏「示」は、象形文字であり神への捧げ物を載せる台を表し、転じて神を表わすようになったとのこと。このことから、福祉とは豊に恵まれ、身も心も神と共にある(ような)幸せな状態を表明しているといえる。「福祉」、それは創造主なる神を信じる者、クリスチャンにとってたいへん力づけられる言葉である。
これに力を得て、神の助けとあわれみを期待して、障害と障害者、そして福祉のことを考えてみたい。
〈以下、近日掲載予定)